人の皮膚からは、さまざまな揮発性化合物(皮膚ガス)が放出されています。
その中には、ごく一部の方が「自分の皮膚ガスが周囲の人にくしゃみや咳などのアレルギー様の反応を起こしてしまう」と感じ、深く悩んでいる現象があります。
これは PATM(People Allergic To Me) と呼ばれていますが、医学的にはまだ十分に解明されておらず、科学的な研究も限られてきました。
当研究室では、この現象を科学的に理解するための研究を進めており、その成果のひとつが Nature 系列の国際誌 Scientific Reports に掲載されました。
本記事では、その論文の概要をご紹介します。
※ 本記事は論文の概要を分かりやすく紹介したものです。
詳細なデータや解析条件については、原著論文をご参照ください。→ Human skin gas profile of individuals with the people allergic to me phenomenon
https://doi.org/10.1038/s41598-023-36615-1
🟥研究の目的

この研究では、PATM を訴える方々の皮膚ガスに、何か共通した特徴があるのかを確かめることを目的としました。
そこで、皮膚から放出される 75 種類の揮発性化合物を測定し、PATM を訴える方と、そうではない方のデータを比較しました。
🟨 研究方法
本研究では、日本国内のボランティアの方々にご協力いただき、SNS や口コミを通じて参加者を募集しました。PATM を訴えるかどうかは、参加者ご自身の申告にもとづいて二つのグループに分けています。
皮膚ガスの採取には、パッシブフラックスサンプラー(PFS)という小さな吸着具を用い、前腕に 1 時間貼り付けていただきました。
集められた皮膚ガスは研究室に送付され、GC/MS(ガスクロマトグラフィー質量分析)を用いて 75 種類の化合物を測定しました。
得られたデータは統計的に比較し、すべての手順は倫理審査の承認を受け、参加者の同意のもとで実施しています。
🟩主な結果
✔ PATM群で多かった成分
| カテゴリ | 代表的な化合物 | 補足 |
|---|---|---|
| 石油由来化学物質 | 2E1H, toluene, xylene | 刺激性があり、化学物質過敏症研究でも注目される成分 |
| 有機硫黄化合物 | methyl mercaptan, ethyl mercaptan, AMS | においの閾値が非常に低く、体臭の印象に影響しやすい |
| アルデヒド類 | isovaleraldehyde, hexanal | 刺激性のあるにおい、脂質酸化との関連 |
| ケトン類 | acetone | 代謝や食事状況の影響を受けやすい |
✔ PATM群で少なかった成分
| カテゴリ | 代表的な化合物 | 補足 |
|---|---|---|
| 低級アルコール類 | 1-pentanol など | 比較的「香り成分」に近いものが多い |
| アロマ成分 | α-pinene, β-pinene, d-limonene, γ-lactones | 木の香り・果物の香りなど、快い印象を与える成分 |
| アルデヒド類 | benzaldehyde | トルエン代謝の中間体。PATM 群で特に少ない |
| 有機酸 | acetic acid | 汗の量と関係するが、PATM 群では少なかった |
| 中鎖ケトン類 | 2-heptanone など | PATM 群で一貫して低い傾向 |
✔ 特に重要とされた指標
| 指標 | 内容 | 補足 |
|---|---|---|
| トルエン/ベンズアルデヒド比 | PATM 群で極端に高い | 代謝経路(CYP, ADH, ALDH)の働き方の違いを示唆 |
| hexanal の増加 | PATM 群で高い | 脂質酸化・酸化ストレスとの関連の可能性 |
🟪においの強さ(OQ)解析の概要
皮膚から出るガスは、量が多ければ必ず強くにおうというわけではありません。同じ量でも、人が感じやすい成分とほとんど感じない成分があるためです。
そこで本研究では、皮膚ガスの放出量をもとに、「人がそのにおいを感じる可能性がどれくらいあるか」を評価しました。
まず、皮膚から出たガスが室内でどれくらいの濃度になるかを計算し、その値を人がにおいを感じ始める濃度(においの閾値)と比べました。
この比を OQ(Odour Quotient)と呼び、OQ が 1 を超えると「においとして感じられる可能性がある」と考えられます。
今回の結果では、PATM を訴える方のグループでは、OQ が高い成分が多く、においとして知覚されやすい成分が増えていることが分かりました。
一方で、 放出量は多くても人がにおいとして感じにくい成分 もあります。トルエンはその代表で、PATM の方では放出量が多かったものの、人がにおいとして感じ始める濃度(においの閾値)が非常に高いため、OQ は低く、実際のにおいとしては弱いと考えられます。
🟧考察
今回の研究で見られた皮膚ガスの違いが、なぜ起きるのかはまだはっきり分かっていません。
性別や年齢による差も確認されず、単純な要因では説明できないことが分かりました。
その中で、いくつかの“手がかり”となる可能性が示されています。
まず、PATM を訴える方では トルエンが多く、ベンズアルデヒドが少ない という特徴がありました。
これは、体内でトルエンを代謝する経路(CYP、ADH、ALDH といった酵素の働き方)が、通常とは少し異なる可能性を示唆しています。
また、hexanal(ヘキサナール) という成分が多かったことも注目されます。
hexanal は脂質の酸化で生じる物質で、体内の酸化状態(いわゆる酸化ストレス)と関係することが知られています。
このことから、皮膚ガスの変化に体内の酸化状態が影響している可能性も考えられます。
さらに、PATM はしばしば「自己臭恐怖(ORS)」と混同されますが、今回の研究では 皮膚ガスの量的な違いが実際に観察されたため、ORS とは異なる現象として扱う必要があることも示されています。
🟦まとめ
今回ご紹介した論文では、PATM を訴える方とそうでない方のあいだで、皮膚ガスの組成に明確な違いがあることが示されました。
特に トルエン/ベンズアルデヒド比 や hexanal といった成分が、PATM の特徴をとらえる手がかりになる可能性があります。
とはいえ、PATM の原因はまだ分かっておらず、今回の研究も「現象の一部が見えてきた」という段階です。
当研究室では、皮膚ガスの特徴や体内の代謝との関係をより深く理解するため、今後も学際的な研究を続けていきます。
今回の論文は、その取り組みのひとつの成果としてまとめたものです。
🟥原著論文
原著論文
Human skin gas profile of individuals with the people allergic to me phenomenon
掲載誌:Scientific Reports(Nature Publishing Group) https://doi.org/10.1038/s41598-023-36615-1
※ 本記事の内容は論文の概要を紹介したものです。
